仕込みには、最初に発酵スターターとしての酛(酒母)を造る必要があります。この酛造りは、水と糀と掛米を合わせるところから始まります。米のデンプンを糀の酵素が分解し、十分な糖ができたところで、次に必須なのが乳酸です。その乳酸生成の仕方で呼び名が異なり、日本酒の味わいに大きな影響を及ぼします。仁井田本家が採用する生酛造りとは、蒸米と糀米に仕込み水を入れて摺りつぶし、そこに蔵に棲みつく乳酸菌が自然に降りてくるのを待って発酵を促すという、時間も手間もかかる最も伝統的な仕込み方。現代醸造法なら12〜14日ほどで酛ができるのですが、生酛造りではその3倍、40日ほどの時間がかかります。かつてほとんどの蔵では木桶を使ってこの生酛造りで仕込むのが主流でしたが、明治の頃には摺りつぶす作業(酛摺り・山卸)を省略して、より人為的に温度やpHなどを管理する「山廃酛」や、醸造用乳酸を人為的に添加することで安定生産が期待できる「速醸酛」が考案され、酒造りの主流は速譲酛に移行していきました。
発酵の仕組みは次のようなイメージです。乳酸菌が作り出す乳酸によって酸性化、要はお酢を作ることで雑菌が淘汰され、乳酸菌の世界をつくりあげます。そこに今度は天然の酵母菌が入り込んできます。乳酸菌と酵母菌は仲がいいのでしばらく一緒に生活をするのですが、次第に酵母がアルコールを作ります。乳酸菌はこのアルコールがとても苦手なので、今度は乳酸菌が淘汰されて酵母の世界に置き換わり、酛ができあがります。今の現代醸造法は、純粋な空間に純粋な酵母を添加することでこの過程を再現していますが、酵母を添加せずにせっせと酛を摺って乳酸を増やすことで、蔵に棲みついた自然界の酵母に降りてきてもらうのが生酛造りなのです。このように糀菌、乳酸菌、酵母といった多様な微生物がお米を媒介に複合的に働くことで、日本酒は醸されていくのです。